日本統治時代も!?アヘンが発端?一国二制度が揺らぐ香港の歴史を振り返る!

こんにちは!

20代投資家ブロガーのハマネコ(@hmnkbsnss_blog)です!

新型コロナウイルスも感染のピークを過ぎたと思いきや、今度は米中の情勢が怪しくなってきました。

今回の問題の争点になっているのは、香港に対する「国家安全法」ですね。

昨年から続く香港の抗議デモも、激しさを増しております。

そんな香港ですが、歴史上の特異な経緯から「中国であって中国でない」ような状況が続いているのは有名ですよね。

独自の通貨やパスポートがあったりする、世界的にも変わった地域です。

今回の記事では、そんな香港の歴史について振り返っていきます!

きっかけは150年以上前のアヘン戦争

香港が歴史の舞台に本格的に登場するのは、清王朝(1644-1912)の時代です。

清王朝は鎖国政策を取っていましたが、イギリスなどのヨーロッパ諸国との貿易を広州で行っていました。

日本の江戸幕府が鎖国政策を取りつつ、オランダと長崎で貿易をしていたのと同じですね。

そのころイギリスではお茶が高値で取引されていたので、中国から茶葉を輸入していました。

しかし、イギリス本国には輸出するものが無かったのです。

そのため、イギリスは対清朝における貿易赤字が拡大し続けることになりますよね。

その状況を打開するべくイギリスが輸出したのが、アヘンという麻薬の密貿易でした。

現代風に言えば、国ぐるみの麻薬取引です。

異常ですよね(笑)

イギリスは当時植民地だったインドで大量にアヘンを栽培し、それを輸出することによって赤字を取り返すどころが逆に貿易黒字になります!

清朝としては、貿易赤字に一転したうえに国民の間で麻薬が流行するというダブルパンチだったわけです。

そこで林則徐という役人を中心にアヘンの強制廃棄を行ったのですが、今度はイギリスが「自国の財産を侵害された」と激怒し(現代の我々からすればいちゃもんレベルですが)、清朝に対し宣戦を布告。

これが、概略ですがアヘン戦争の背景です。

この戦争に勝利したイギリスは南京条約を締結して、香港島が永久割譲されることになりました。

(この時点では、今の香港における「島の部分」のみの割譲です)

ここから、現在のデモに至る歯車が回り始めます!

イギリス統治下での発展…、そして日本統治時代も!?

イギリスは1860年のアロー戦争とそれに伴う北京条約で、九龍半島の租借が決定。

さらに1898年には新界の租借に至り、今の香港特別区の土台が出来上がりました!

なお租借というのは簡単に言えば「土地を借りること」で、香港の租借期限は99年です。

そのため、1898年から1997年までイギリスは香港の統治をおこなうことになります。

イギリスは植民地統治機関として香港政庁を設置し、香港の発展に力を入れていきました。

香港はもともと清朝の貿易窓口であったことから、イギリス統治中も中国大陸と諸外国の貿易の仲立ちをする中継貿易でどんどん栄えていきます。

公用語は英語とされ、独自の銀貨(のちの香港ドル)が用いられるなど、清朝や継承国である中華民国とは一線を画す政治・経済政策が施されます。

途中1941年末から1945年8月までは太平洋戦争が行われ、日本軍は香港にも侵攻。

現地のイギリス駐留軍を追い出し、一時的に日本の統治領になります。

ただし日本の敗戦が決まると、香港は再びイギリス領となります。

第二次世界大戦後、中国本土では国共内戦が行われた結果中華人民共和国(現代の中国)が誕生します。

時代はまさに米ソ冷戦へ向かう最中であり、そこに東側である共産党の政権が誕生することによって、西側諸国は中国との取引を行わなくなります。

これは、中継貿易で栄えていた香港の強みが無くなってしまうことを意味します。

その一方で、中国本土に居た反共産主義の人々が香港になかば難民状態で流入した来ましたが、彼らの中には貧しい人もいましたが富裕層や高度技術者も混ざっていました。

香港からすれば安価な労働力と高度人材が同時に手に入ったも同然であり、彼らの流入が中継貿易に依存しない香港の経済発展をもたらすことになります。

また、朝鮮戦争やベトナム戦争といった相次ぐ戦争特需も追い風となりました。

そして1980年代にはアジアの新興地域として、シンガポール・韓国・台湾とともに「アジアNIEs(四小龍)」と呼ばれるまで発展します。

しかし、この経済発展を陰で支えたイギリスの租借期限である1997年が近づいていました。

中国に返還後は「一国二制度」に!

1984年に中英共同声明が発表され、1997年に香港返還後は中国の特別行政区になることが発表されました。

1989年の天安門事件で一時返還は動揺するも、1997年に予定通りイギリスから中国へ香港が返還されます。

なお厳密な租借地は新界のみのため、香港島は「譲渡」が正確な表記になります(笑)

しかし、「西側」だった香港社会が急に「東側」である中国に合わせられるのは難しいとの懸念から、2047年までは香港に社会主義政策を適用しないという「一国二制度」がここから始まります。

香港は軍事権と外交権を中国に委ねることになり、実質公用語に北京語が加わるなどの変化はありましたが、内政面に関しては自治政府の裁量が認められます。

21世紀にはいると中国本土の成長が加速するなか、香港は欧米・日本・中国の資本流入を得ることになり、こと金融面に関しては目覚ましい発展を遂げます。

そして東京・シンガポールに並ぶ「アジア3大金融都市」としての地位を確立しました。

こうして順調に見えた香港の発展ですが、ここ1年で一変します。

2018年に台湾で起きた殺人事件の犯人が香港に逃亡し、警察が捉えるものの香港と台湾の間での犯罪者引き渡しに関する取り決めがなく犯人を送還できないという事件がありました。

この出来事を受けて香港政府は例の「逃亡犯条例」案を提出しますが、これが実現すれば中国本土と香港の犯罪者引き渡しが可能になり、ひいては香港市民が中国当局の取り締まり対象となる懸念が生じました。

香港では大学生を中心に反対デモを起こし、現在の出来事に繋がるわけです。

2020年6月現在、香港のでもはもはや米中対立にまで発展してきています。

新型コロナウイルスの猛威が振るう中ですが、こちらも目を離せない状況です。

一刻も早く解決になるといいんですけどね…

では!

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です